さよならだけが人生でも - フジファブリック「手紙」を聴く夕暮れ

 夏の午後、巨大な雲がむくむく立ち上がったと思ったら夕立に降られて、田んぼの中の道を走って帰って、家に着いて西の空を見ると、もう雲の切れ間から日が差している。あたりが淡い橙色に染まって雨の粒が光る。しばらく待っていると雨は止んで、夕暮れの空はピンク色のグラデーションになる。
 子どものころに見たようなそんな景色を思い浮かべながら、フジファブリックの新曲「手紙」を聴いていた。

 「手紙」はボーカルギターの山内総一郎作詞作曲。今年の6月に配信限定シングルとしてリリースされた。山内はこの曲について、ライブのMCやラジオでのインタビューで、上京して十数年が経ったいま、彼の故郷である大阪の茨木や、家族、友達のことを思いながら、会えない人に手紙を書くような気持ちで作った曲だと話している。その手紙に込めようとするメッセージは、彼が言うには、「元気? 東京に友達出来たから紹介するわ、みたいなシンプルなこと、だれにでもあるような一般的なこと」だという。元々は去年の9月に行われた山内のソロアコースティックライブの際に原型となる曲ができていたのを、「まっすぐな言葉にしたくて時間をかけた」と本人が言うように、じっくりと試行錯誤を重ね、今の形で完成させてリリースしたのだそうだ。

 この曲は、いろいろな「さよなら」を経験しながらも音楽を、そしてフジファブリックを続けてきた今の山内だからこそ歌えるふるさとの歌だと思う。

 「手紙」はギターのGコードから始まる。山内が初めてギターで鳴らしたのがこのGの音だったという。初めてギターを手にした、そして音を鳴らした時の感動はきっと今も彼の音楽の根底で脈打っているのだろうという気がする。生まれ育った街で音楽に出会った瞬間から、フジファブリックとして音楽を鳴らしているいま・ここまでは、きっと地続きだ。

≪元気でやってますか 笑えてますか/思えば遠く ふるさとの人たち≫
(「手紙」作詞・作曲:山内総一郎 以下、歌詞の引用はすべて同曲から)

 歌い出しはまさに手紙の書き出しのような、久しく会っていないひとに向けて呼びかけるようなことば。ゆったりと歩くようなリズム、それに寄り添うオルガンの音に、なつかしい人や風景に思いを馳せる時のあたたかさ、恋しさが滲む。

≪変わらない街はもう 日焼けする頃/太陽みたいな 君にまた会えます≫

 作詞者である山内自身のこととしてこの曲を聴く限り、「手紙」が「ふるさとの人たち」に宛てられたものなら、「変わらない街」は彼の故郷である大阪の茨木ということになる。

 街の風景がまったく変わらないということはないはずで、宅地造成、区画整理、再開発やら何やらで、馴染んでいた景色が全く違うものになっていたり、あの店が潰れてこの店ができていたり、ということはきっとどこの街でも起きていると思うのだけれど、それでも「変わらない」といえるのは、そういう外見上のこととは別に、自分の生まれ育った街としての「変わらなさ」のようなものがあるからだろうか。
 たとえば駅に降り立った時に包み込む空気、家路を歩きながら感じる匂い、そこに暮らす人たち、家族、友人の表情、アスファルトの照り返しの加減、夕暮れ時の空の色、街を流れる時間。
 そういう空気や匂いや光景と、自分がその街で暮らしていた頃のその場所・人の記憶とが触れ合うとき、街は「変わらない」ものとして感じられるのかもしれない。

 「手紙」には、山内が自分で撮影した茨木の映像を用いたティーザームービーがある。その映像は、そこで暮らしていた人でなければ切り取れないような、日常の、なんでもない、穏やかな表情をした街を映したものだというのが感じられる。そこにあるのは間違いなく彼にとって「変わらない街」なのだと思う。

≪通り雨 ふざけあう帰り道 今でも覚えていますか≫

 冒頭に書いたイメージは、曲調に呼び起されたところもあるが、どちらかというとこの歌詞をきいた時に連想したものだ。今でも覚えていますかという呼びかけ。話したい誰かと一緒に見た光景、過ごした時間があったこと。それをいま、懐かしくいとおしく思っていること。

≪さよならさえも言えずに時は過ぎるけど/夢と紡いだ音は忘れはしないよ≫

≪さよならだけが人生だったとしても/部屋の匂いのようにいつか慣れていく≫

 別れは突然訪れるもので、そして繰り返されるもの。ほんの少しの間のさよなら、次はいつになるかわからないさよなら。友人とのさよなら、家族とのさよなら。また会えることを信じながらのさよなら、もう二度と会えなくなってしまうさよなら。繰り返すうちには、誰かと別れるということにも、昨日までそばにいたあの人がもう今はここにいないことにも、いつか慣れていく。

≪変わってくことは誰の仕業でもないから/変わらない街でもずっと笑っていてほしい≫

 フジファブリックが2009年に経験した悲しい別れのことはよく知られていると思う。バンド結成以来の中心人物だった志村正彦がいなくなってしまったこと。それがフジファブリックというバンドにとって、またメンバーにとって、本当に大きなできごとだったのは確かだと思う。そのできごとを軽く扱うつもりは全くないということは断っておきたいけれど、ただ、ひとりの人間が生きていく中でそういうさよならは何度も訪れるし、だからといってさよならの度にずっと嘆き続けるというわけにもいかない。今ここにいる自分は進んでいかなくてはならないという時もある。

 この曲を作った山内自身、志村のことはもちろんだけれど、それだけではないいくつもの別れを経験してきていると思う。「部屋の匂いのように」慣れていくというのは、だから、頭で理解するとか受け容れるとかいうことではなく、否が応でも自然とそうなってしまうと知っているからこその表現なのかもしれない。

 それではなんだか寂しいような気もするけれど、「夢と紡いだ音は忘れはしない」し、今はそばにいない「君」を、それでも近くに感じることもある。「君」が笑っていてほしいと願っている。今でも「君」に話したいことだってある。

≪もう何年も切れたままになった弦を/張り替えたら君ともまた歌えそうな夕暮れ≫

≪きらめく夏の空に君を探しては/ただ話したいことが溢れ出て来ます≫

 離れた人、思い出の中だけの人、今すぐには会えない人に向けて語りかける歌。とても素直に綴られたことば。大丈夫なのだという気がする。さよならだけが人生だったとしても。

≪上手くいかない時は 君ならどうする/弱いぼくらは 一体どうする≫

 「君」と対になっているのは「ぼくら」。「ぼく」ではない。さよならだけが人生でも、「弱いぼくら」は今この時、ひとりではない。

≪百万回も生きた 猫のように/大切な人と 寄り添ってたいのさ≫

 寄り添っていたいと思うのは、離れてしまうことを知っているからこそだろうか。

 少し話が横道にそれるけれど、この曲の中に出てくる「変わらない街」「何もかもがある街」「離れた街」というのは、それぞれ作者の故郷のことや東京のことをいっているのだろうと推測できるものの、街の名前は出てこなくて、聴く人によっては自分の故郷や今住んでいる街を当てはめることもできる。そういうところでは固有名詞を使わず、歌詞に出てくるものが特定されないようになっている。一方でこの「百万回も生きた猫」というところはどうだろう。佐野洋子さんの絵本『100万回生きたねこ』の猫のことだと、ほとんどの人が確信するのではないかと思う。100万回死んで、また生きて、そうしてほんとうに大切な誰かを愛するということを知った猫。

 街の名前は出てこないのにここで固有名詞(ほとんど固有名詞といっていいと思う)が出てくるのが、なんだかこの曲の手触りをいっそうやわらかくあたたかい、体温を感じるようなものにしていると思う。
 さよならが繰り返される人生だからこそ、大切な人と寄り添っていたい。絵本の名作――多くの人の思い出に残っている一冊だろうし、この曲の「ぼく」、あるいは作者である山内にとってもそうかもしれない作品――を通してそれを表現するところに、この「手紙」を綴った人の人柄と飾らない思いが垣間見える。それがこの曲を、なおのこといとおしいと思わせるような気がするのだ。

 はじめに書いたように、離れた人に向けた「手紙」で山内が伝えたいことというのはとてもシンプルだという。「元気?」と尋ねてみたり、「東京でこんな友達できたで」と紹介してみたり。

≪離れた街でも大事な友を見つけたよ/じゃれながら笑いながらも同じ夢追いかけて/旅路はこれからもずっと続きそうな夕暮れ≫

 山内にとって、同じ夢を追いかける友は言うまでもなくフジファブリックのメンバーだろう。キーボード金澤ダイスケ、ベース加藤慎一。今は遠くにいるけれど、志村もそういう友の一人であるはずだ。もっと広くいうなら歴代のサポートドラマー達やフジファブリックを支えるスタッフも同じ夢を追いかけてきたことになるだろうけれど、とりわけ「じゃれながら笑いながら」一緒に旅路を歩んできた、そしてこれからも歩んでいく友人となれば、いちばんに挙げられるのはメンバーだと思う。

 余談のようになるけれど、「手紙」の完成形が初めて披露された6月29日の大阪でのライブで、フジファブリックは来年2019年10月20日に大阪城ホールでのワンマンライブを行うことを発表した。デビュー15周年を記念しての大舞台だ。

 それでいて、あまり仰々しくないところ、気負いを感じさせないようなところもフジファブリックにはあって、大阪城ホール公演には「IN MY TOWN」というタイトルがつけられている。これがとても、らしく思えて好きだ。15周年記念、山内の故郷大阪への凱旋という華々しさよりも(もちろん大阪城ホールという大きな舞台でのアニバーサリーライブは華々しいには違いないのだけれど)、東京で出会った友達を連れて帰ってきて、音楽を通じて出会えた人たちをじぶんの生まれ育った街に招いて、そこでライブをしようという、そんな素朴な響きがある。

山内自身、大阪でライブを行うことについて「凱旋っていうことよりも、東京でできためっちゃいい友達連れてきたで、っていう気持ち」だと、MCの中で話していたことがあった。「手紙」について、いま会えない人に伝えたいことは至ってシンプルなのだと話していたこととも通じる。「IN MY TOWN」というのは、それがよくあらわれたタイトルだと思う。

 さよならを繰り返しながらも、そんな友達がいることを、ふるさとの人、遠く離れた人に何でもないように伝える。「手紙」はほんとうにまっすぐで、いろいろな人への愛が詰まった歌だと思う。

 また少し話がそれるのだが、フジファブリックが2014年にデビュー10周年を記念して行った武道館での公演は、何よりもバンドへの愛にあふれたライブだったのだろうな、と、「Live at 日本武道館」の映像を観るといつも思う。それはライブ中のあらゆる光景から感じられるものだ。

 「なんで続けてきたかっていったら、フジファブリックが好きだから。そんなバンドをなくしたくなかった」という山内の言葉。「みんなに向けてのラブソング」としてアンコールで鳴らされた新曲「はじまりのうた」。それに対してお客さんが返す歓声と拍手。
 どれも素朴で愚直ともいえるぐらいまっすぐで飾り気がなく誠実な、バンドそのものとその音楽への愛情のあらわれだと思う。

フジファブリックの奏でる音が会場に響くたびに、メンバー、スタッフ、お客さん、あの場にいたすべての人のバンドへの愛が武道館を満たし、包んでいったのではないか。というようなことを、あの空間には行けなかった私も映像を観ながら本気で考えてしまう。

 15周年のライブはきっと、10周年の時のようにバンドへの愛にあふれたものとなると同時に、またその時とも違うフジファブリックの「いま」を示すものになるのだろうなということが、「手紙」を聴くと感じられる。

 先にも書いたように、フジファブリックはいろいろなことが起こりながらも続いてきたバンドだ。それでも、今の彼らの音楽を聴きたい、彼らのこれからを見たいと思うのは、ほかでもないフジファブリック自身がすべてを引き連れて前に進み続ける姿勢を作品やライブを通じて示し続けてきたからだし、そうして紡がれてきた彼らの音楽がそれだけ強固だからだ。

 「手紙」も、まさにそういう音楽のひとつだ。これから先さまざまな場面で大切に演奏されていくのであろう、シンプルで、まっすぐで、やさしい曲だった。バンドの音にストリングスの美しくてせつなげな音色が重なるアレンジや、のびやかな歌声を聴くにつけても、この「手紙」が大きな会場に響くのを想像してたまらなくなる。大阪城ホールであの最初のGの音が鳴らされる時、何を思うだろう。

 ふるさとを離れ、さよならをいくつも経ながらも大事な友達と出会って彼らの旅路は続いてきたし、これからも15周年の舞台へ、そしてさらにその先へと続いていく。「手紙」はそんな旅路を満たすやわらかな光のような、ふるさとと東京をつなぐ夕空のような、そういう歌だ。彼らの旅路をできるだけ長く見守っていられたら。そんなことを考えながら、夏の夕暮れに「手紙」を聴く。


この作品は、「音楽文」の2018年9月・月間賞で最優秀賞を受賞した大阪府・kamさん(24歳)による作品です。


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