ラモーンズ、トーキング・ヘッズらのマネージャー死去

ラモーンズ、ジェーンズ・アディクション、トーキング・ヘッズ、ビッグ・オーディオ・ダイナマイト、ユーリズミックス、B52’sやLIVEなどのマネージャーを務めたゲリー・カーファースト氏が1月13日に亡くなった。享年60歳。

カーファースト氏は、ニューヨークの音楽シーンで最も重要な人物の一人であり、1967年にかの有名なヴィレッジ・シアター(のちにフィルモア・イーストと呼ばれた)をオープンしたことで知られている。また、ジミ・ヘンドリックス、ドアーズ、ザ・フー、ジャニス・ジョップリン、ジェフ・ベック、ザ・ヤードバーズなどを発掘した人物でもある。

その後も40年にわたって、アーティストやミュージシャンのみならず、プロデューサー、映画や映像監督、音楽レーベルやレコード会社の発展・繁栄に大きく貢献し続けた。

1968年、20歳の頃、カーファースト氏は“ニューヨーク・ロック・フェスティバル”を立ち上げ、ジミ・ヘンドリックス、ドアーズ、ジャニス・ジョップリン、ザ・フーがパフォーマンスした。ちょうど同じ頃、アシッド・ロック・バンドのマウンテンに出会い、1975年までマネージャーも務めた。

1975年には、クリス・ブラックウェルとともにボブ・マーリーやピーター・トッシュなどをアメリカに呼び入れ、レゲエを紹介した。その後20年にわたってラモーンズ、ジェーンズ・アディクション、トーキング・ヘッズ、ユーリズミックス、B52’sなどのレコード契約に関わった。

カーファースト氏は映像作家としても活躍し、トーキング・ヘッズの『ストップ・メイキング・センス』やデヴィッド・バーンの『トゥルー・ストーリーズ』の製作も行った。

ラモーンズやB52’s、マドンナらが所属し、ザ・スミスやプライマル・スクリームらの作品をアメリカで販売したことでも知られる<サイアー・レコード>の創設者であるシーモア・スタインは、カーファースト氏を称え、「ゲリーは本当に一歩先の音楽をキャッチする能力に優れていて、しかも自分の直感を信じる力があったんだ。タフな人だったけど、理不尽なことはしなかった。努力ができる人だけど、フェアで、根に持ったりするタイプでもない。仕事が抜群にできる人だったよ」と話した。

また、トーキング・ヘッズのクリス・フランツとティナ・ウェイマスは共同声明で「1977年以来、ゲリーはマネージャーを務めてくれていました。彼は常に私たちのことを考えながら行動してくれて、守ってくれた。トーキング・ヘッズがトーキング・ヘッズでいられるように、音楽業界の色んな荒波にもまれてくれた。ゲリーは本当に5人目のトーキング・ヘッズです。大好きな親友でもありました。彼がいなくなってとても寂しいです」とコメントした。

ご冥福をお祈りいたします。

(c) NME.COM / IPC Media 2008/ 2009
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