スティーヴ・アルビニが亡くなる。享年61歳。ニルヴァーナが追悼の投稿。

スティーヴ・アルビニが亡くなる。享年61歳。ニルヴァーナが追悼の投稿。

ショックで悲しいニュース。すでにご存知の方も多いと思うが、スティーヴ・アルビニが亡くなった。61歳だった。

彼のシカゴのスタジオ、エレクトリック・オーディオ・レコーディングで働くエンジニアのブライアン・フォックスが、7日火曜日の夜に心臓発作で亡くなったと語ったとConcequenceが報じている。

来週5月17日にシェラックの10年ぶりの新作『To All Trains』が発売されることになっていたため、その後に行われるツアーの準備をしていたそうだ。

ニルヴァーナの『イン・ユーテロ』、ピクシーズの『サーファー・ローザ』、PJハーヴェイの『リッド・オブ・ミー』、ブリーダーズの『ポッド』などを手がけたが、”プロデューサー”とクレジットされることを拒否。印税をもうらことも倫理的に間違っていると、受け取りを拒否していた。

様々なアーティストが追悼しているが、ニルヴァーナが追悼の投稿をした。

4ページの手紙で、これは、バンドが、『イン・ユーテロ』の”プロデュース”を彼に依頼した際に、アルビニから送られてきたファックスで、彼からのお願い、条件が書かれている。

当時ニルヴァーナは、『ネヴァーマインド』で世界的大ブレイクをした後だったので、やらせて欲しいというプロデューサーが大勢いたはずだが、それとは真逆の内容なので、彼の人柄を何より物語っている。「水道配管工のように支払って欲しい」「印税をもらうことは倫理的に正当化できない」と、ここにも書かれている。

1)彼の提示した条件は以下の通り。こういう風にレコーディングするならやります、ということ。要約。

「レコーディングは数日で行うこと。クオリティが高いミニマルなプロダクションにすること。
レコード会社から口出しをさせないこと。
バンドが、自分たちの音楽、存在を反映したアルバムを作ること。
バンドは、プロデューサーのプロジェクトではなくて、バンド自体が一番大事であること。なので僕がどうするべきかは口出ししたりしない。
失敗やカオスも大事である。
レコーディングも、リミックスも自分が行うこと。
自分たちがどういうサウンドにしたのか決めておくこと。

どうやってレコーディングするのかが一番大事であり、どこでレコーディングするのかはそれほど大事でもない。レコーディングしたい場所がないなら、提案はできる。
僕も自宅に24トラックのスタジオがある(フガジがレコーディングしたばかりだから、彼らにどうだったか聞いてもらっても良い)。
ただし、君たちは、セレブリティだから、レコーディングの間家にいるのは少し心配だ。
お勧めするのは、ミネソタ州キャノンフォールにあるPachyderm。(結局ここで6日間でレコーディングされた。)」

支払いについて:

「これはカート(・コバーン)に説明したんだけど、もう一度言っておきたい。僕は印税は一切もらわない。意味がないから。プロデューサーやエンジニアに印税を払うというのは、倫理的に正当化できない。バンドが曲を書き、バンドがその音楽を演奏しているわけだから。そしてそのレコードを買うのはバンドのファンなわけだから。そのレコードが最高か最悪かは全てバンドに責任がある。だから、印税もバンドに所属する。

僕は、水道配管工のように支払ってもらいたい。僕が仕事をして、君たちはその仕事に見合う分を支払ってくれればいい。レコード会社は、僕が、1%か1.5%を支払うように要求すると予想していると思うけど、例えば300万枚売れたら、40万ドルということになる。そんな大金は絶対に受け取らない。眠れなくなってしまうから。

払ってくれる金額は、快く受け取りたいけど、それは君達のお金でもあるので、君達にとっても満足のいく額にして欲しい。カートは、最初に全額を払い、アルバムが出てしばらく経ってもっと価値があると思ったら、またさらに追加で払うと提案していた。僕としては問題ないけど、でもそうしようとするとおそらく手続き的に面倒になってしまうように思う。どちらにしても、君達を信頼しているので、いくら払うかは君達に任せる。その金額によって僕のこのレコードに対する情熱が変わったりもしないから。

僕のような立場の人達の中には、君達のバンドと仕事したら、その後仕事が増えると期待する人もいるのかもしれない。でも僕の場合は、それ以前にやりきれない位の仕事がある。それに率直に言って、そんな表面的なことに惹かれるような人と仕事したくない。だからそれを問題だとは思わないで欲しい。

それだけ。

もし何か分からないことが連絡して欲しい。

もしこのレコーディングに1週間以上かかったら、誰かが失敗したということ」


2)また、去年10月に『イン・ユーテロ』30周年記念盤が出た際に、アルビニは、コメディアンのコナン・オブライエンのポッドキャストにバンド2人(クリス・ノヴォセリックデイヴ・グロール)と一緒に出演して、同様のことを答えている。

上の手紙について。
●『イン・ユーテロ』で仕事するにあたり”条件”を提出したことについて。印税はいらないから、「水道配管工のように支払って欲しい」とお願いしたことについて。

アルビニ

「当時レコードプロデューサーへの支払いは、レコード会社からバンドへシフトしている時期で、プロデューサーへの支払いはバンドが行なっていた。しかも、それ用の予算が確保されているわけでもなくて、プロデューサーに支払われなければ、バンドが受け取れるお金から引かれていた。つまり、僕がもらったお金は全て、デイヴや、クリスや、カートがもらえるはずなお金だった。僕はそれは倫理上受け入れられないと思ったし、不合理だとも思った。しかも、僕がこのアルバムで数日仕事しただけなのに、一生彼らが僕に支払い続けなくちゃいけないなんて(笑)。5セント稼ぐ度に僕に支払わなくちゃいけないって」

またクリスとデイヴは、『イン・ユーテロ』でアルビニと仕事することになった経緯なども語っている。以下要約。

●『イン・ユーテロ』をアルビニにお願いする経緯について。

クリス・ノヴォセリック

「車で『サーファー・ローザ』を聴いている時に、カートが、俺たちのスネアのサウンドもこうするべきだ、と宣言したんだ」

デイヴ・グロール

「『ネヴァーマインド』で急にバンドが大きくなったことで、自分にとって最も身近に感じるものにしがみつこうとした結果だったと思う。カートと一緒に住み始めた当時、彼は家にレコードを4枚にしか持っていなかった。それが、マーク・ラネガンのレコードと、『サーファー・ローザ』と、ブリーダーズの『ポッド』と、ジーザス・リザードだった。つまり、それが僕らが好きだったサウンドなんだ。それで『ネヴァーマインド』を作る前からスティーヴとは一緒に仕事したかったんだけど、でも結果的にはブッチ・ヴィグと制作した」

●アルビニのサウンドについて。
デイヴ

「ひとつの音がその他の音より目立つということはなくて、常に全体が中心となったサウンドだった。グループがその場所に一緒にいるという。自然なもの。それからドラムサウンドを聴くと距離があるのが分かって、それがサウンドに深みを与えていた」

●アルビニのコメント。
アルビニ

「まず僕とブッチ・ヴィグがどう違ったのかの比較のように語られているけど、ここで指摘しておきたいのは、ブッチ・ヴィグのプロダクションや美学や、彼のエンジニアとしてのアプローチは、僕と全く同じだったということ。全くお金がないバンドの、予算のないレコーディングを、短期間で行うこと。時間的にだけではなくて、素材などに関しても、可能な限り効果的に行うということ。彼のやり方も、技術も、僕と全く同じだったんだ。だから僕は彼をものすごく尊敬しているし、彼とは友好的な競争をしていたと思っているんだ。彼がニルヴァーナのような大きなバンドを手がける前は、僕と彼は同じようなバンドと一緒に仕事していたしね。

それでニルヴァーナとブッチについて覚えていることは、『イン・ユーテロ』のレコーディングをするためにスタジオに入った時に、カートが、ブッチからもらった『ネヴァーマインド』セッションのラフミックスのカセットテープを持っていたんだ。ミックスなどがされる前の状態のね。それでスタジオのサウンドを確認するためにそれを流したんだけど、それがスピーカーから出た時、最高のサウンドだって思った。それで申し訳ないんだけど、(完成した)『ネヴァーマインド』を聴いた時に、このサウンド最高だって思ったことはなかった。それまでブッチが手掛けたどのレコードのサウンドとも違っていたし、だから、恐らくニルヴァーナが本来彼と仕事したかった理由であるサウンドとも全く違っていたんじゃないかと思うんだ」

●『ネヴァーマインド』が出た当時、ニルヴァーナのファンだったか?
アルビニ

「ニルヴァーナについてはそれほどしっかりとは知らなかった。ラジオとかクラブではみんなかけていたし、ライブに行けば、サウンド調整をするのにどこでも『ネヴァーマインド』をかけていたから、間接的には何度も聴いていたけどね。でも、よくは知らなかった。シアトルの同じようなサークルの違うバンドのことはよく知っていたけど。メルヴィンスとか、マッドハニーとかね。でも、ニルヴァーナのファンとは言えなかった。一緒に仕事をしてニルヴァーナのファンになっていったんだ。彼らのライブを観たこともなかったし。もしライブを観ていたら、絶対にファンになっていたと思うよ」


3)その他のアーティストたちも、アルビニを追悼している。

ジャック・ホワイト

ピクシーズ

ブリーダーズ

「ブリーダーズは、スティーヴ・アルビ二の突然の死に悲嘆しています。彼は世界を築き上げました」

PJハーヴェイ

「スティーヴ・アルビニに出会い、一緒に仕事したことは、私の人生を変えました。彼から音楽について、そして人生についても、あまりにも多くを教えてもらった。スティーヴは偉大な友人でもあり、賢くて、すごく優しい人だった。心から感謝しています。

彼と、彼のご家族、ご友人に、お悔やみ申し上げます」


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