11月5日に1975年の『ヴィーナス・アンド・マース』と76年の『スピード・オブ・サウンド』をリマスタリング再発するポール・マッカートニーだが、公演先のフロリダの大学で自身のキャリアを振り返る講演を行ったとか。
ポールは現在「アウト・ゼアー」ツアーの北アメリカ公演を敢行中で、講演は10月25日のフロリダ州ジャクソンヴィル公演の前日にフロリダ州ウィンターパークにあるロリンズ大学で行われた。アメリカを代表する詩人のビリー・コリンズとの対話という形で講演は行われ、キャリアを通してのポールの作曲と作詞の思い出がひもとかれ、最後にポールは"ブラックバード"の演奏を披露したという。講演は当日になって開催が発表されたが、あまりにも学生が殺到したため、入場は抽選で決められたとローリング・ストーン誌が伝えている。
講演の中でポールはジョンとの作詞の思い出を語り、「ぼくが『いつだってどんどんよくなっている』と口にしたとすると、ジョンは『これ以上ひどいことになることはないだろう』って言うんだよね。なるほど、そういう捉え方はぼくには思いつかなかったと気づかされるんだよ」と説明している。また、ポールは、たとえば"イエスタデイ"などは夢を見て閃いた曲だったと明かし、自分の場合、作曲に特にこれといったやり方はないと次のように語っている。
「だから、いつも学生のみんなにもこう言ってるんだよ。『いや、正直言って、ぼくにもこれのやり方ってよくわかってないんだ』ってね。曲を書く時、どの曲についても決まったやり方はないんだ。曲から閃く時もあるし、歌詞から思いつくこともあるし、ついてる時は両方いきなりくるんだよ」
また、ほかには少年時代を過ごしたリヴァプールがイギリスでも有数の港湾都市だったため、船員がよくアメリカからレコードを買ってきていて、それを通してブルースやカントリーを発見していったこと、さらに若い時分にジャズ・コードを習っては興奮したことを振り返ったという。また、かつてニューヨークの大学の研究者たちを前にして自作を朗読するはめになった時には緊張してどうなるかと気が気でなかったことやビートルズの作品がさまざまな形でカヴァーされていることについてはまるで抵抗感はないことを説明している。
さらにビートルズの音楽や作風が大きな変遷を辿ったことについては「ぼくたちのやってることがどんどん発展していったのはごく自然な成長の過程だったんだよ。それと薬物の影響もあったけどね」と語っている。
「わかってほしいのは駆け出しの頃のビートルズなんて、ただのボーイ・バンドで、ファンのためにすべてやってるようなことだったんだから。それはそれで全然悪いことじゃないと思うけど、しばらくやってると、いい加減に違うこともやりたくなってくるんだよ」