【コラム】関ジャニ∞を聴けばわかる。今、「ポップの王道」はここにある!

【コラム】関ジャニ∞を聴けばわかる。今、「ポップの王道」はここにある!

自分自身、音楽に関する原稿を書く上でのレトリックとして「ポップの王道」といったワードを無意識に使うことが少なからずある。が、そこで改めて考えてみた。今の日本で「ポップの王道」を体現しているのは一体誰か?と。
もちろん、10人に訊いたら10人ともさまざまな基準でまったく異なるアーティスト名を答えるであろう漠然とした問いではある。が、こと「バンド」に関して自分が同じ質問をされたら、僕は迷いなく関ジャニ∞の名前を挙げる。

ロック/ポップス/ソウル/ファンク/スカなどポップミュージック史を彩ってきた系譜を受け継ぐ「正統性」と、それらのジャンルの系譜そのものを「音楽を楽しむ」ための最高のアイテムとして軽やかにぶん回してみせる痛快さ。
それこそ増子直純&上原子友康(怒髪天)や上中丈弥&久保裕行(THEイナズマ戦隊)によるど根性ロックンロールから、Saori&Nakajin(SEKAI NO OWARI)/Skoop On Somebodyらが手掛けるポップの高純度結晶の如き楽曲まで壮大な振り幅を描きつつ、北川悠仁(ゆず)/谷口鮪(KANA-BOON)/オカモトショウ&オカモトコウキ(OKAMOTO'S )/山口隆(サンボマスター)/宮藤官九郎&峯田和伸といったそうそうたる作家陣の提供詞曲とメンバー詞曲による楽曲群が入り乱れる多彩な音楽性を、関ジャニ∞というひとつの座標の中に位置づけ続けてきた「ポップ&ロック融通無碍」とでも言うべき柔軟さと懐の深さ。
そして、バンドでありながら「常にプレイヤーであること」にも固執せず、アイドルとして/エンターテイナーとして祝祭感至上主義的なパフォーマンスを展開する自由度と機能性の高さ。
全員がストライカーでありゲームメイカーでもありながら、この7人の運命共同体でなければ生み出せないポップの魔法が、関ジャニ∞の音楽世界には確かに備わっているし、それは今月25日にリリースされた関ジャニ∞の38thシングル『なぐりガキBEAT』にもそのまま地続きのものだ。

トランペットソロとエレピのジャズ〜フュージョン風のバッキングが絡み合うムーディーなイントロから一転、弾けんばかりのブラスサウンド鳴り渡るスカロック的な躍動感へ——。個別のジャンルのマナーを確かに継承しつつも、音楽的な手癖も定型もポップの彼方へ蹴っ飛ばすような構成や展開すべてが「あり」どころか「武器」に変わっていくこの“なぐりガキBEAT”のスペシャルな磁場はまさに、関ジャニ∞の唯一無二のマジカルな在り方を明快に象徴している。

「音楽のスタイル」や「伝えるべきメッセージ」を軸に楽曲を作り積み上げていくことで、それらはやがて「バンドのスタイル」「バンドのメッセージ」として認識されるが、逆にそれ自体がバンドの方向性や活動を規定することにもなる。
しかし、「音楽史の豊かさ」と「音楽の楽しさ」そのものを軸として楽曲を発信する、という途方もない命題のもとでリスナー/オーディエンスと真っ向から向き合うことで、どこまでも自由でパワフルで、誰ひとり排除しないポップの楽園を築き上げることが可能になる——関ジャニ∞が具現化しているそんなハイパーな多幸感の構図は、「なんとなく」生まれるものでは決してないはずだ。

ご存知の通り『なぐりガキBEAT』は週間チャート初登場1位を記録。シングルチャート首位獲得は通算33作目、2010年の『Wonderful World!!』以降実に25作連続の快挙となる。
そして、昨年から今年にかけては5大ドームで計14公演にわたって「関ジャニ's エイターテインメント」を開催。日本中を巨大な歓喜で抱き締め続けている関ジャニ∞の闘い方は、バンドシーンに限らず、2010年代のポップミュージック史上においても極めて画期的なものだ。

かく言う僕自身はどちらかと言えば「ポップの王道」よりもむしろ、そこへのカウンター的存在であるバンドについて書いたり言及したりする機会の方が圧倒的に多いし、そういった数多くのバンドに自分の音楽的アイデンティティを確立されてきたという自覚もある。しかし、いやだからこそ、全身全霊傾けた眩しいポップ感を振り撒きながら軽やかに鮮やかに「王道」を担う関ジャニ∞から、今この瞬間も目が離せずにいるのである。(高橋智樹)
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