ジミ・ヘンドリックス、死の1週間前に行われたインタヴュー音源がアニメーションに

ジミ・ヘンドリックス、死の1週間前に行われたインタヴュー音源がアニメーションに

1970年に他界したジミ・ヘンドリックスが死の1週間前に行ったインタヴューの一部が動画として公開されている。

動画はアメリカの公共放送局として知られるPBSが製作したもので、アーティストのインタヴュー音源とアニメーションを組み合わせた動画クリップとして公開するブランク・オン・ブランク・シリーズのひとつ。インタヴューはジミの取材を度々行ってきた音楽評論家のキース・アルトハムが行ったもので、たとえば、もう楽に暮らせるだけのお金は充分稼げたように思えるかという問いにジミは次のように答えている。

「ううん、そうは思わないね。俺の送りたい生活はまだできてないよ。俺がやりたいのは朝起きたらベッドをごろごろと転がって移動してそのまま室内プールにぼちゃんと入って朝食のテーブルまで泳いで行って、息継ぎのために頭を水から出したらそのまま上がってオレンジ・ジュースを飲んで、テーブルの椅子からまたプールにどぶんと入って、バスルームまで泳いでそこで髭を剃るっていう……」

──つまり、お金が充分あるのが目的ではなく、贅沢をして過ごしたいということですか。
「違うよ、今のが贅沢に聞こえる(笑)? 今のは山の中に流れる川辺のほとりにテントを建てた生活について話をしてたんだよ(笑)」

また、ジミがイギリスでデビューを果たした1966年がサイケの全盛期だったのと比較して、すっかりファッションや風体も落ち着いた感じになったことを指摘され、ジミは次のように説明している。

「つまり、誰だってそういうフェーズを潜っていくものなんだよ。俺も最初に出てきた頃にはいろんなものを着飾ってたけど、俺がああいう格好をしてたのは、単純に自分のやってることがちょっとうるさ過ぎるんじゃないかってそれが心配だったからなんだよ。俺の性格そのものが変わっちゃったみたいだったからね。だけど、ヴィジュアル面だけで煽られるのもまた嫌だったんだよね。やっぱりちゃんと聴いてもらいたかったし。いい加減に我慢ならなくなったのかどうかはわからないけど、みんなだんだんと俺への評価を下げようとしてきたから、それと同時進行で俺も髪の毛を短くしたり、指輪も一つずつ指から消えていったんだよ(笑)」

また、有名なギター炎上パフォーマンスについては次のようにその経緯を振り返っている。

「ある時、今夜ギターを燃やしてみるのはどうだろうって口にしてみたんだよね。ギターをぶっ壊すとか、なんかそういうことをやるべきかなって。そうしたら、それいいねって話になって、本当にいいと思うかって確認しても、絶対にやったら最高だよって話で。それでわかった、じゃあ、やるには自分の怒りを煽っていかないとなって思ったんだ。でも、俺をそうさせているものが本当に怒りだったのかどうかについて以前の俺はわかってなかったんだよ。いろいろ機材を壊したりしてたけど、みんなにそう言われて初めて気がついたんだよ。だけど、やってみると、みんなそれぞれにそういう部屋を持つべきだと思うよ。自分の鬱憤を発散するような部屋をね。だから、俺の場合、その部屋はステージなんだよ」

あるいは、サイケをそもそも発明したのはジミではないかという指摘についてはどう思うかという問いにジミは次のように答えている。

「マッド・サイエンティスト的アプローチだよね。俺の曲の書き方っていうのは、たいていは現実とファンタジーの衝突として書いてるものなんだよ。現実のさまざまな側面を提示していくにはファンタジーを使わなくちゃできないことなんだよ。そうやって現実をどれだけねじ曲げられるか見せるわけだよ。それに対して現実というのは個人個人の意思決定以外のものでしかなくて、体制がその大部分を握り潰していくわけだよね。こういうことは俺が感じてることで、うまく棘を丸くするのも苦手だから、ほとんどあけすけなものになってるよね。その一方でライヴ演奏ということになると、俺たちは飛び跳ねてみたり、派手なアクションで演奏したりしてるから、お客さんのみんなは目の前のことしか見えなくなって、実際に聴かされている内容のことなんか忘れちゃうんだよ。だから、俺の場合には同時にいろんなことをやり過ぎてるところがあるわけだけど、それが俺の性格なんだからしようがないよね(笑)。とにかく一つのものに決めつけられるのが俺は嫌なんだよ。だから、ギタリストとしてのみ扱われるのも、ソングライターとしてのみ扱われるのも嫌なんだ。あるいはタップ・ダンサーとかさ。俺の今の感じがいいんだよ(笑)」

ジミの音楽を体制に対する怒りの表現だと受け取っているリスナーも多いはずだが、それについてはどう思うかという問いには次のように答えている。

「違うよ、体制に対して怒っているようなものなんかじゃないよ。俺に言わせてもらえば、そもそも体制というもの自体が存在しないんだから。すべてただのブルースなんだよ、俺が歌っているのはそういうもんだから。今日のブルースだよ」

さらに自身の政治観について訊かれると次のように答えている。

「特にはないね。そういうことについてもちょっとかじってみようかなとは思ってて、誰しもがそうだと思うんだけど、そういうことにかぶれる時期があるんだよね。でも、そういうことは全部音楽に表れてくるものなんだよ、たいていはね。たとえば、俺たちには"直進"っていう曲があるんだけど、その中じゃ『人々に力を』とか『魂の自由を』とか、『若者にも老人にも広めよう』、『髪が長いか短いかはどうでもいい』、『コミュニケーションが力強く湧き上がっている』っていうことをいろいろ歌ってるんだよ」

今後、どういう変化を望むかという問いには次のように答えている。

「よくわかんないけど、市街とかがもっと彩り豊かになるといいとか、そういうことかな(笑)。よくわからないよ。新しい考え方とか、新しい発明だとか、新しい楽しみ方とか、新しいなんかが生まれたなら、きちんと公開されるべきだよね。今までの労苦をいつまでも背負わされるんじゃなくてね。人と違うことをやるには自分から怪物にならなければならないし、そういうフリーク扱いされてしまうとものすごく先入観を持たれるからね。ある種の喋り方をするにも髪の毛を長くしてないとできないし、一緒にもいられないんだからね。それとはまた別な人たちと一緒にいるには髪の毛を短くしてネクタイを締めなきゃならないんだからさ。だから、俺たちはこの第三世界を作ろうとしてるわけなんだよ」

また、1970年当時の音楽シーンについては次のように語っている。

「最近ではヘヴィーな音楽で溢れすぎてるよ。音楽がヘヴィーになり過ぎて、ちょっと耐え難いものになってきてると思うんだ。俺は一つのモットーを持ってて、それは俺のやってることがヘヴィーになり過ぎてきたら、俺をヘリウムと呼んでくれというものなんだ。つまり、人間に知られてる最も軽い気体だね(笑)」

将来、テレビにカセットテープを突っ込むと音と映像が楽しめるような時代が実現するかという問いに、ジミは次のようなAVテクノロジーの可能性を述べている。

「たくさんの人たちがいろいろこれまで考えられなかった規模での金儲けをしてるわけで、だから新しいマンションの部屋に引っ越す際には余計な部屋も揃えるもんで、そういう部屋をオーディオとヴィジュアルの環境の整った部屋にすることもできるはずなんだ。その部屋に入って寝転ぶと、色とサウンドに溢れたイメージが飛び出てくるっていう寸法だよ。そんな部屋に入って、ちょっと神経を刺激することができるわけなんだ」

ジミのインタヴュー動画はこちらから。
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